Mちゃんに寄せて

シーズーのMちゃんがそんなに前に☆になっていたなんて
全然知りませんでした。

この前のお彼岸にペット霊園にあむとくぅのbabyで、
光を見なかった2匹のために、3マルを連れてパパとお参りに行き、
姿は探し出せなかったけど、
Mちゃんの冥福もお参りしてきました。

Mちゃんのママは、ようやくMちゃんの事を話せるようになったみたいなので
Mちゃんの事を心にとめておこうと思います。

ウチのパピー(シーズン2)が生まれる前に、
逝ってしまっていたんですね。

そうとも知らずに くぅの出産ではしゃいでしまって、
申し訳なかったです。


ママは“ようやく、Mちゃんの事を口に出せるようになった”って言ってましたが
今でも時々思い切り泣いてしまうそうです。

でも、間もなく1年が経とうとする今になって
ようやく少し心の整理ができてきたみたい。

「でもやっぱりまだ次のコを迎える気にはなれない」 って。
あんなに一生懸命がんばっていたMちゃん、
そう簡単に死を受け入れられないと思う。

自分が犬を飼うきっかけになった
母の死に直面したときの落ち込みを思い出します。
いろいろな事があって、私は実母の死をとても悔やみ、
1年以上立ち直れませんでした。
やがて妹にすすめられて、犬を飼おうと決めました。
そして、「あむ」を迎えたことで、ようやく精神的に落ち着きを取り戻していきました。
このコたちがいなかったら、今頃どうしていたでしょう。



Mちゃんの事を知ってから、
おかあさんが自分から話してくれるようになるまで
なるべくMちゃんのことに触れないようにしてきました。


でも、私はむしろ、おかあさんからMちゃんの名前を聞くと
元気なころの、頑張っていた頃の、Mちゃんを思い出してしまいます。


Mちゃんの病気のことをきいたのは去年の春くらいだったでしょうか・・
いつも元気なMちゃんの姿を見かけないので
おかあさんになにげなく尋ねると、病気なのだとおしえてくれました。
“もっと早く病気に気付いてあげれば”
ママは悔やんでおられました。

私は、一度だけ闘病中 のMちゃんに会わせてもらったことがあります。
元気いっぱいだったころの姿を思うと、
ほんとに痛ましい様子でした。
どんなに苦しいだろうか、痛いだろうかと思うのですが
声一つ出さず、辛い治療にたえて頑張っているんです。
必死に生きようとするMちゃんを見ていると、
いたたまれなくなり涙をこらえられませんでした。

それは、この春亡くなった、父の最期の姿と同じでした。

ママも、Mちゃんの生きようとする気力に応え
必死に治療と看病をしていたのを私は知っています。

だから、精一杯生き抜いたMちゃんは
幸せだったと、私は思います。
ママにもパパにもあんなに愛されて、☆になったMちゃん

きっとママやパパに
”ありがとう、ママのコでよかった”と
Mちゃんは言ってるにちがいない、と霊園で手を合わせながら思いました。

思い出すとまた泣けてくる。

最近、まわりでペットの犬を亡くしたという人が多い。
聞くたびに悲しくなり、うちのわんこだったらどうなるだろうと思う。

私の横でくぅがおなかを出して眠っています。 
今の私は幸せだな、、

世の中には
何のために生まれてきたのかわからないような
ワンコやニャンコが無数にいるのも事実。

どうしてそんなことになるのか・・・
消えていく小さい命のために
私にもなにかできることがあるだろうか・・

願わくば、どのワンコもにゃんこも
みんな同じように
飼い主さんに愛されて一生を終えることができますように。。。

今、私にできることは、せめて うちのマルたちが最期まで
幸せに暮らしてくれること。
Mちゃんのように精一杯、生きぬいてほしい。

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コメント

  1. 今を生きてることを感謝しましょうね

    色んなことを経験したから
    小さなことを喜びと感じる♪
    今日はそんな日です!

    お誕生日をワンちゃん達と過ごせる幸せ♪
    堪能してくださいな!(b^-゜)♪

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  2. はい、そのとおり(゚ー゚)(。_。)ウンウン
    ○回目の誕生日は、
    お仕事して、わんことドライブ&犬ごはんの買出し。
    いつものように、マルに囲まれて
    平和に過ぎてゆきました。

    返信削除

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